自然の赴くままに・そのときの 気分次第で・なんとなく

興味を持ったことを、なんとなく気の向くまま書いています。

昨年の洪水で水没した E7系 / W7系の 解体順番をまとめてみた(図にしてみた)

E7系の解体が完了し、残る 2本の W7系のうちどのような順番で解体が始まるかが見えなかった W2 の解体が始まったので、ここまでの車両の解体順を編成の毎に解体が始まった日を入れて図にしてみました。

現在までに解体された編成は

週に1回程度予定が合えば訪問し記録していた程度のため、車両ごとの細かい解体開始日はわかりませんが、編成ごとに解体が始まった大体の日はわかります。また、各編成で車両の解体順番も異なっているので、その順番もわかりやすいように図にしてみました。床下カバーは仕業交番検査庫に入ると外されてしまうのですが、パンタグラフは編成ごとに扱いが異なっていたので、パンタグラフ付き、完全撤去、碍子残しも図示してあります。

編成番号順解体開始日(大体の開始日)

f:id:imaisato:20201122111608p:plain

編成番号順

見てわかる通り、編成番号の順番は関係なしに解体が行われました。

解体開始日付順(大体の開始日)

f:id:imaisato:20201122111704p:plain

日付順

車両が編成のまま解体されていないのは、実は長野新幹線車両センター内で頻繁に移動している編成があり、また何かの理由でわざわざ一部の車両だけを抜き出したりしている編成があるためです。

何故車両の解体順が組成順ではない編成があるのか

これは長野新幹線車両センターでの被災の状況が影響しています。まずは車両センターの留置線のどちらかを早期復旧できるように開ける必要があったのではないかということ、脱線している 2編成を復線させなければならないことなどが影響しているのではないかなと思いました。この水害被災直後ではまだ車両を今後どのようにしていくかが明確にはなっていなかったかと思いますが、兎に角復旧優先で車両を移動させるためなのか、F10 から全ての編成の車両間の線はコネクタから外すのではなく物理的に切断されていました。つまり水没してしまった電気配線は全て引き直しになるので、コネクタを外す手間かけるよりバサッと切ってしまえという感じだったのであったのではと思います。

ではどのように移動されていったのかですが、留置場所や入れ換えの都合でどうしても元の編成通りに並べることが手間だったり困難などがあったため、このようになったように思えます。つまり、意図してバラバラにしているのがあるのではなく(実は 2編成ありますが)、入れ換えの都合でこうなってしまったということではないかと思います。被災時の各編成の場所はこの通りでした。

f:id:imaisato:20201123111017p:plain

洪水被災時

最初に移動したのは 10番線に留置されていた F10です。手前は 4列車で奥は 3列車、どちらを移動させるかを考えた結果、奥側の留置線を開けることになったのではと思います。その際、臨時修繕庫奥の線は留置線とは横移動の関係になるので、アントの牽引力に合わせた 4両づつ F10 を引き出した結果、臨時修繕庫奥に移動したときに 4両づつの逆組成の順番になりました。

f:id:imaisato:20201122002006p:plain

F10 の移動完了

そして、その次に並んでいる W2 は F1 の脱線復旧に邪魔なので、これも車輪研削庫奥に押し込まれました。今は W7 が置いてあるところです。W2 も引き上げは横移動の位置になるので、F10 と同じように 4両づつ逆になりました。

f:id:imaisato:20201122002343p:plain

W2 の移動完了

そして続いて脱線した F1 の状態を調べるために仕業交番検査庫中線(2番線)の F14 を転線しています。F14は金沢側からまっすぐ車輪研削庫まで行けるので、編成は崩れずに移動しました。

f:id:imaisato:20201122002558p:plain

F14 の移動完了

そして脱線した F1 を復線した後、仕業交番検査庫中線(2番線)に移動。これもこの時はそのまま真っすぐ収容なので編成は崩れません。

f:id:imaisato:20201122002726p:plain

F1 の脱線復旧と動完了

次に脱線しているもう一つの編成の F18 の両側を開けるために F2 を移動。F2 は 6番線へ横移動になるので、転線時に編成が 4両単位で逆順になります。そして、状況確認の終わった F1 を仕業交番検査庫脇に移動しますが、これは横移動なので、4両単位の逆順になってしまいます。

f:id:imaisato:20201122002932p:plain

F2 と F1 の移動

脱線した F18 を復線し仕業交番検査庫の中線(2番線)に収容。これも真っすぐの移動なので編成が崩れることは無し。

f:id:imaisato:20201122003022p:plain

F18 の脱線復旧と移動完了

F18 の脱線復旧のために退避していた F2 を元の 3番線に戻しますが、F2はまた横移動なので組成順番が変わり、元の編成の状態に戻ります。

f:id:imaisato:20201122003232p:plain

F2 の移動完了

そして仕業交番検査庫脇に仮留置していた F1 を F18 のいた 2番線に移動させますが、これはまっすぐの移動なので 4両づつ逆順の組成のまま 2番線に移動。

f:id:imaisato:20201122003450p:plain

F1 の移動完了

という流れで、解体開始前のバラバラな組成はこのように生まれてきたわけです。そしてこれで浮いて脱線していた F1 と F18 の状態も確認出来て、あとは流れ作業で 1月からの解体に向かいます。

解体開始後の移動

2020年 1月第4週より F10 編成の解体が開始されました。F10 の解体がほぼ終わるころ、仕業交番検査庫の 3番線を空けるために急ぎ移動させた F14 と F7 の入替えが始まります。F14 は横移動になるので編成が 4両づつ逆順になりますが、F7 はまっすぐなのでそのまま移動しています。

なお、この時以降は仕業交番検査庫から出てきた編成は、床下カバーと屋根上の機器が撤去された形になっていました。

f:id:imaisato:20201122011047p:plain

F14 と F7 の入替え

そして F14 が仕業交番検査庫に収容されます。これはまっすぐの移動なので編成は崩れません。

f:id:imaisato:20201122011645p:plain

F14の移動完了

そして早めに空けた奥側(10番~11番)の留置線の利用が始まります。

f:id:imaisato:20201122011928p:plain

入線試験

その後は、すでに解体が始まっている編成以外の床下カバーと屋上機器の撤去のため、仕業交番検査庫に各編成が順番に収容されていきます。まずは F14 と F8 が入れ替わります。 F14 はそのまま留置線への移動なのに一度仕業交番検査庫脇に移動させたのか、編成は 4両づつ逆になります。そして、ここでちょっと気になったのが F8 の組成順。今までの流れだと F8 は真っすぐ仕業交番検査庫に行けるので編成が崩れないはずなのですが、どうやら F8 も一度留置線のどこかに横移動で退避させ 4両づつ逆になり、その後 F8 を真っすぐ仕業交番検査庫に収容するという形をとったようです。

f:id:imaisato:20201122012012p:plain

F8の移動完了

そして、F7 の解体が終わるころに F7 の留置されていた車輪研削庫手前に F14が移動します。4両づつの横移動なので、編成が元通りに戻ります。

そして、W7を引き出せないのかわからないのですが、W7 の長野寄り 4両を外に出して、空いたスペースで W2 に何かを始めました。こちらも F14 の時と同じで急ぎ奥に移動させたので、もしかしたら状況確認していたのかもしれません。というのも、この後に出てきたときは仕業交番検査庫に収容された時と変わらぬ姿で出てきており、後で再度編成ごと仕業交番検査庫に収容されることになるからです。

f:id:imaisato:20201122012719p:plain

W2, W7 F14 移動

次に F16 が部品撤去のために F8 と入れ替わります。先の F14 と F8 の時とは異なり、F8 は F16 の隣にまっすぐ移動、つまり4両づつ逆のまま移動し F16 も真っすぐそのまま編成を崩さずに移動しています。

f:id:imaisato:20201122013213p:plain

F16の移動完了

そして F16 はまた真っすぐ元の線に編成を崩さず戻りますが、F2が仕業交番検査庫に収容される際に4両単位ではなく、長野寄り中間車3両+残り9両の組成で収容されます。この変な収容は何か意図があったのだと思うのですが(その後にも別の編成でもありました)その理由はわかりません。

f:id:imaisato:20201122013541p:plain

F16 と F2 の移動完了

その後 F2 が留置線に戻されます。その際に両側は先頭車になっていますが、編成順が崩れたまま戻されています。

f:id:imaisato:20201122014414p:plain

F2 の移動完了

その後 F8 が移動します。これは横移動なので今までの他と同じに 4両づつの移動になり、両先頭車の編成状態に戻ります。

W2 と W7 は両方とも仕業交番検査庫に収容されますが、W2 が F2 と同じような形で一部ばらばらに収容されました。W7 はスペースを空けるために移動させた 4両が戻ってきただけなので、通常の編成状態になりました。

f:id:imaisato:20201122014552p:plain

F8、W2、W7移動

そして部品撤去が終わった F1 が留置線に戻ります。真っすぐの移動なので 4両づつ逆になっているのはそのまま。E7系の部品撤去は F1 が最後なので、これ以降仕業交番検査庫の 2番線は空きになります。

f:id:imaisato:20201122014934p:plain

F1の移動完了

そして残った W7系 2本は、最初に長く仕業交番検査庫にとどまっていた W7が陽の下に出てきます。真っすぐの移動なので編成順序は崩れません。そして、W7 はこのままずっと動かないでここに留まることになります。

f:id:imaisato:20201122015204p:plain

W7の移動完了

そして F16 の解体準備の移動。これも横移動になるので 4両づつ逆順になります。

f:id:imaisato:20201122015520p:plain

F16 の移動完了

最後に W2 の移動。この後の解体開始までこの状態だと思っていたのですが、解体直前の 1番線への転線で編成順序が変わります。

f:id:imaisato:20201122015700p:plain

W2の移動完了

上の状態の写真です。

f:id:imaisato:20201122162714j:plain

車両部品撤去の移動完了

以降は解体前の留置場所への横移動なので、

  • F1 はオリジナル編成の形に戻って解体へ。
  • F2 は2番線留置の状態から4両づつ逆順に横移動し解体へ。
  • F18 も横移動なので 4両づつ逆順になって解体へ。
  • W2 は2番線留置の状態から 1番線転線時に1両、2両、1両、2両、2両、4両と横移動、その後その組成状態から 4両づつ逆順に横移動し解体へ。

となっています。W7 は既に解体待ち置き場の車輪研削庫の線にいるので、このままだと編成順で解体になると思われます。

今の状態の写真はこの通り。

f:id:imaisato:20201122162826j:plain

留置線には車両はいない

このように紐解いていくと、解体される順番には車両移動という意味があるんだなとわかってきます。ただ、途中で変わった移動をした編成もあったので、そのあたりは「何故?」と本当は知りたいところです。

長野新幹線車両センターの場所は

北陸新幹線車窓からはちょっとしか見えない長野新幹線車両センター。実はしなの鉄道北しなの線飯山線)の三才ー豊野間から、ここでレポートしている状況が全てが見えます。三才側から留置線の状況、車両を解体している臨時修繕庫のあたりの状況、仕業交番検査庫のあたりの状況の順で見えるので、いつもそこでルートを考え豊野で降車して訪問をしています。

位置関係はこんな感じです。

www.google.com

徒歩ルートはこんな感じで、10分くらいで E723-18 の運転台や台車が保管されている場所に行くことができます。

f:id:imaisato:20201123103610p:plain

豊野駅から徒歩ルート

その近くにはこれ(善光寺平洪水水位標)もあります。

f:id:imaisato:20201123104541j:plain

善光寺平洪水水位標

そこからいつも解体されている写真を撮影している場所までは、さらに徒歩で 10分

f:id:imaisato:20201123103442p:plain

解体場所

そして、留置線を見られるアップルブリッジ赤沼へ。橋には大回りしないと到達できません。

f:id:imaisato:20201123103746p:plain

アップルブリッジ赤沼

そして、アップルブリッジ赤沼を渡り切って長野寄りに行くと、留置線の1番線側に行けます。また、アップルブリッジ赤沼を戻って長野寄りに行くと、今度は W7 が留置されている車輪研削庫線の奥の所に行けます。

一通り状況を確認して豊野まで戻るまでにかかるのは大体1時間半くらい。じっくり見るならプラス30分程度です。なので、豊野駅の着発時間をしっかり把握していれば、車で移動せずに長野駅から列車で時間を作って見に行くことができます。逆に車で訪問だと、周りがりんご畑で駐車できる場所は無いので走りながら見るということになるかと思います。(実際にはアップルブリッジ赤沼の下の空き地に停めている人がいるようです。)

あと、危険なのに橋の上から少し降りたところに停めて写真撮っている人もいますが、アップルブリッジ赤沼は太鼓橋のような形と急なカーブで頂点の向こう側は見えないため事故の恐れもあり危険です。

f:id:imaisato:20201123104929j:plain

アップルブリッジ赤沼

東京から新幹線で来る場合は、7:24 発 あさま 603 号で長野入りし、9:24 の北しなの線で豊野に入ると解体途中の状況や搬出用のハリタ金属のトラックが来るところが見られます。そして、10時半~11時45分くらいの間に車体とそれ以外の部分の搬出を見ることができます。搬出は大体水曜日と土曜日に行われています。

f:id:imaisato:20201103014700j:plain

f:id:imaisato:20201103014237j:plain

搬出に使われるトラック

ハリタ金属の車体搬出用トラックが先に、それ以外のものを積んだトラックが後に出発します。上の写真のように荷台の中は、その先の国道117号にかかっている歩道橋で見ることができます。角にセブンイレブンがあるのですぐに場所はわかります。

f:id:imaisato:20201123110013p:plain

長野新幹線車両センターと国道117号歩道橋の位置関係

W2 の解体が始まり残りは W7 のみ。長野新幹線車両センターでの車両解体もあと 2か月。その間にもし見に行く場合には参考にしていただければと思います。